言葉というものの儚さ。
日常的に書き続けた、この4ヶ月。
言葉を絞り出してはああ、この表現じゃいけない、もっと他にぴったりくる言葉があるはずだ、と手探りで模索しながら記事を書いていた。
そして書いたものを読み直しては、うん、なんだかしっくりこない、と書き直す。私の中にある感情を、私の中にある映像を、どうやったら少しでも取りこぼさず伝えることができるだろうかと。
言葉を綴ることは、少しでも多くの「私が伝えたいこと」を、そのままストレートに伝えるために戦うことだ。
どんなに言葉を尽くしても、私が意図した通りの100パーセントは伝わらない。私が言う「赤」は、話している相手が聞けば「スカーレット」の赤なのかもしれないし、「バーミリオン」の赤なのかもしれない。
なんて、言葉とは便利で、頼りない手段なのだろうか。
そんな風に思ったのは、昨日義理の母と言い合いになったからだった。
とは言っても、義理の母である。私から見れば気を使うので、実の母なら言い返しても、私は滅多に義理の母には物申さない。
ただ、あまりにも夕飯を食べない娘に対して「食べなくていいよ」「残ったものは捨てなさい」「食べられるものだけ食べなさい、お母さんは怒りすぎだよね、怖いね」と擁護しすぎていたため、「食べなくていいことはないと思います」という旨を伝えただけだった。それ以上でも、以下でもない。
しかし、私の言葉を聞いて母は烈火のごとく怒り始めた。大変だろうと思って様子を見に来ているのにそんな事を言われるなんて、と早口で言った。そうして、本当の娘だと思っているのに、子どもたちがかわいそうだ、そんなに大変なら仕事を辞めろ、などと言い始めた。
お母さん、落ち着いてください。私はどうしたらクールダウンさせられるかを考えながら言った。「私はそんな事は言っていないと思います。いつも感謝しています。私が言っていないことを想像して怒るのはやめてください」と。
後にして思えばもう少し言い方があっただろうが、私もパニックになっていた。母はますます怒り、どんどん私の言葉は曲解されて届かなくなり、うんとひどいことをたくさん言われた。
頭の片隅で冷静な私がぼそりと言った。「いくら言っても、今はもうムダだよ。言葉は儚いねえ。どんなに重ねても、届かない時は届かないんだから」……そうか、届かないのなら、言ってもムダか。途中から私のバッテリーも切れ、私は無言になり、母はそのまま帰っていった。
私の言葉は、どれだけ尽くしてもほとんど届かなかった。
けれど、私はまたこうして言葉を綴る。それは、言葉を尽くしても伝わらない事もあるけれど、少しだけでも伝わる事も、確かにそこにあるからだ。
母とまた和解するには、言葉をもってしか出来ないだろう。
だから、私は言葉を使ってまた、少しでも私の想いを伝えようとするのだ。
例え、ほんの僅かであっても、その先に繋がるものがあると信じて。
例えて言うなら、それは実家でコタツに入っている時のように。
二度あることは三度ある、っていうから。
そう人に言われてはいたけど、三度あった今、四度目はいらないな、と正直思っていた。
乗り心地も良くないし、なんていったって気分は最悪だし。叫べる元気があればいいけど、ひたすらぐったりしているだけで、レアな経験した! なんて思える余裕はそこにはないし。
人生の終わりになれば、もう一度乗るのも仕方ない事態が起きるかもしれない。けれど、それまではいいや、と思っていた。
意識が遠のく中、微かに聞こえるサイレンの音を聞きながら、私はそんなことをぼんやり考えていた。
お願いです、もう乗りたくありません。
救急車には。
「……ごめんなさい」
何度となく繰り返したセリフで、私の声はガラガラだった。
「いいよ、大丈夫だよ。誰も怒ってないから」
周りの人たちの優しさが、痛い。痛くて突き刺さるようだ。
いっそ、私は怒られたかった。何してんの、と。30も過ぎて飲んで倒れるなんてバカじゃないの、と。
しかし、そんなに量を飲んだ訳でもなく、日本酒を飲んだ訳でもない私が突然倒れたので、周りは相当焦ったらしい。そりゃそうだ。
しかし、体調があまり良くなかったり、子どもの夜泣きで睡眠不足だったりと、私にはなんとなく思い当たるところがあった。その状態でアルコールを摂ってしまったのはどう考えても自己責任である。病院で目が覚めた時、一番最初に思ったことは「やってしまったな」だった。申し訳なさに消えてしまいたいわ、居合わせた人に会いづらくて会社に行きたくないわで散々だった。
そんな事があり、なんとなく気持ちが後ろ向きになってしまった私は、「書こう」と思いながらブログもそのままになってしまっていた。
天狼院書店への寄稿分はなんとか書き上げたものの、最後の投稿が終わると、一気に気が抜けてしまっていた。
例えて言うなら、それは実家でコタツに入っている時のように。そのまま外には出られないような、高校の時の名前入りジャージに母の変な柄のトレーナーで、ゴロゴロして首から上と手だけが出ている。そんな、ひたすらぐうたらしている気分で過ごしていた。
けれど、月曜日が近づいて来て、ふと「書かねば」という気分になった。天狼院への寄稿の締め切りは、私の場合は毎週月曜だった。なので、書いていないことに不安を覚え、久しぶりにここに書くことにしたのだった。
けれど、天狼院と違ってこちらは「絶対に読んでくれる」誰かがいる訳ではない。寄稿している間は、店主の採点というか講評があった訳なので、誰かが見るということを前提に、緊張感が満ちた状態で書いていた。
けれど、今は誰か1人でも見てくれているかどうかすらわからない。
そう思うと、ふとコタツに戻りたくなる。のんびりして、ほらミカンでも食べて。もう書くことなんていっそのことやめちまえ。そんな囁きが聞こえるのだ。
けれど、書くことを続けてみよう、せっかくそう思った気持ちを無駄にしたくなかった。
とにかく、書くこと。それが、お金を払ってライティング・ゼミを受けたことのその先へ繋がる気がするのだ。
不定期でいい、とにかく書いてみよう。
そう思い、私はコタツのスイッチを切り、スマホに向かい合ったのだった。
その掲載された記事はこちらです↓
店主セレクトもいただきました!
「書くこと」をやめられない私の、これまでとこれからと。 - 天狼院書店
ぼちぼちと書いていこうと思いますので、何卒よろしくお願いします。
短くまとめるのも人目を惹くのも苦手です。
私は「これを一言で!」という仕事を任されそうになると全力で逃げたくなる。生憎、プログラマーなのでそんな機会は滅多にないのだけど。
いや、思い返してみるとある。コードを書いた後にタイトルが必要なのだ。中身を表すのがタイトルなので、変なものをつけると「このfunctionは何してるんだ?」と同僚に突っ込まれる。
動作がはっきりしているもので、これ! とあればいいけれど、なんとも複雑に動いているものには名前がつけにくい。
とにもかくにも、短くまとめるのは苦手だ。
そんな私は大学の時、サークルで障害のある子どもたちと関わるものに属していた。今日の子どもの様子を報告するミーティングで、何を話していいかわからなかった一年目の私は事細かに話した。
メインイベントが終わった後の打ち上げで、「ゆかりはミーティングの話が長い」と散々先輩に絡まれた。最中に言ってくれたら良かったのに、とも思ったけど、後の祭りだ。
それ以来、大勢の人を前にすると、長くないだろうか、とばかり気にするようになった。短くまとめなきゃ、できるだけシンプルに、そしてコンパクトに。
そう思って短くまとめようとしすぎた私は、飲み会で「乾杯の音頭を取れ」と言われると本当に「ではお疲れ様です、カンパーイ」しか言わず、「あいつに任せると短すぎてドライすぎる」と今度はまたお叱りを受けた。
私は、なかなか「ちょうどいい」が見つからないまま、迷子になっていたままだった。
それを思い出したのは他でもない、現在寄稿している文を書いていた時だった。
タイトルが付けられなくて困ったのである。
タイトル、タイトル、あー、どうしよう。中身が書けてもタイトルが決まらない。やれ困った。
そうしてなんとかつけたタイトルは毎度微妙で、他の人の記事を見るたびにタイトルのつけ方のうまさに唸らせられる毎日だった。
ちなみに人目を惹くものを作ることも苦手なので、ぱっと人目を惹かなければいけないタイトルは本当に鬼門なのだった。
今週もまた、迷っている。
神様が舞い降りて来てくれないかなぁ。
「羨ましい!」と叫ぶことすらできなかった私は、ネバーランドへ行きたかった。 - 天狼院書店
今週も載ってます。
そういえば、私は記事を携帯で書いているのだけど、この間クリップボードに残ってた一部を妹に誤送信してしまったんだった。
妹はねーちゃんがこんなん書いてるなんて知らないから、いきなりこんなん送って来てこいつ、気が狂ったか? と心配しただろーな。何も聞かれなかったし何も言わなかったけど。あはは。
子どもの頃の男女差について。
我が家は、息子がひとり、娘がひとりいる。娘の方がお姉ちゃんなのだが、男女差の凄まじさに震えるこの頃である。
息子、一歳過ぎ。興味があることは食べることと寝ること。あと最近はいたずらすること。
娘と比較すると、この頃の娘はあんまり寝ず、寝なくてもさほどぐずらないがやたらチャイルドシートやベビーカーが嫌いで乗せると大泣きしていた。そして、かなり早いうちから服装について選り好みしていた。
子どもの頃はそんなに男女差はないわよー、という人もいれば、いやいやうちは全然違うわよ、という人もいる。
我が家はさて、どっちなんだろうなーと妊娠中から思っていた。
結果、
我が家は全然違った。
息子はとにかく好奇心旺盛で、じっとしていない。娘は座って絵本とか読んだり、ぬいぐるみをいじいじしていたのだが、息子はひたすら歩き続け、物を投げ、テレビを叩き、まあやりたい放題である。
気づけばストーブの柵の中に物を投げ入れるので、石油ストーブは泣く泣く撤去した。火事になることを考えると、背に腹はかえられない。
我が家は貰い物の、室内用のジャングルジムと滑り台、ブランコが一緒になっている遊具があるのだが、常々場所を取るので不便に思っていた。
娘も大して遊ばなかったので、処分しようかと思っていたのだが、ここにきてまさかの大活躍である。息子は日に日に高く登り、滑り台を滑り、気づけば勝手にブランコに乗っていた。
これはそのうち何か壊されるな、と私はビクビクしているのだが、防ぎようがなさそうなので早々と諦めをつけている。
何事も諦めが肝心、だけどさすがにテレビはやめてくれ、と願うばかりである。
対して上の娘はフリル、レース、リボンが好きで、将来は某ディズニーのプリンセスになるんだそうだ。
もちろん服もピンク、ピンク、ピンク! とピンクがゲシュタルト崩壊しそうなタンスの中の有様だ。弟には回せそうにないレース付きを見ながら、これも仕方ない、とため息をつく。
男女差がハッキリしているとどちらを見ていても親としては面白いのだけど、要はコストがかかるのである。
なので、私は今、男女差の凄まじさというか、男女差によるコストのかかり具合の凄まじさに震えている。
どちらも味わえて贅沢なのはわかっているし、毎日は楽しい。
ただ、通帳を見るのが少し怖いのだけがなんとかならないだろうかと、宝くじの看板を見つめてしまう年末だった。
今週もなんとか載せていただいております。
はじめまして。
ブログをまた、時々書いていこうかな。
そう思ったのは数日前、ぐちゃぐちゃとiPhoneのメモに書いては消して、書いては消して……とやっていた時だった。
思ってることを書いてつけるなら、やっぱりブログが一番じゃないのかな。日記代わりにもなるし。
けれど、葛藤もあった。
なんせこれまで、私は続けられた試しがない。
飽きっぽいのだ。
そして、ブログは別にゴールがあるわけじゃない。裁縫みたいに、この直線を縫ったら終わり! とか、料理みたいにこれで出来上がり! が、ない。
終わりが見えないものを継続的に続けることが多分、好きじゃないのだ。
それは私がゲームはやっても、オンラインゲームをやらないというポリシーにも通じている。
けど、書いてみようか。
書くことだけは続けようか。
そう思ったのには、理由があった。
その理由は、天狼院書店にある。
私は今、ここで行われているライティング・ゼミに参加している。
その結果、ほとんど毎日、暇さえ見つければ何かを書くようになった。
しかし、これには終わりがある。
先日、残りのゼミ数を数え、ゼミが終わった後に私はどうしようか、とふと悩んだ。
書く場所がなくなってしまうことに強い不安を覚えた私は、そうだ! こんな時こそ! と、ブログの存在を思い出したのだった。
と、いうわけでぼちぼちと不定期に書いていければ、と思います。
今週も天狼院書店様に寄稿した記事がなんとか無事載ってます。
子どもと毎日寝落ちしてしまって、投稿できないんじゃないかと毎週綱渡りしています……。