例えて言うなら、それは実家でコタツに入っている時のように。
二度あることは三度ある、っていうから。
そう人に言われてはいたけど、三度あった今、四度目はいらないな、と正直思っていた。
乗り心地も良くないし、なんていったって気分は最悪だし。叫べる元気があればいいけど、ひたすらぐったりしているだけで、レアな経験した! なんて思える余裕はそこにはないし。
人生の終わりになれば、もう一度乗るのも仕方ない事態が起きるかもしれない。けれど、それまではいいや、と思っていた。
意識が遠のく中、微かに聞こえるサイレンの音を聞きながら、私はそんなことをぼんやり考えていた。
お願いです、もう乗りたくありません。
救急車には。
「……ごめんなさい」
何度となく繰り返したセリフで、私の声はガラガラだった。
「いいよ、大丈夫だよ。誰も怒ってないから」
周りの人たちの優しさが、痛い。痛くて突き刺さるようだ。
いっそ、私は怒られたかった。何してんの、と。30も過ぎて飲んで倒れるなんてバカじゃないの、と。
しかし、そんなに量を飲んだ訳でもなく、日本酒を飲んだ訳でもない私が突然倒れたので、周りは相当焦ったらしい。そりゃそうだ。
しかし、体調があまり良くなかったり、子どもの夜泣きで睡眠不足だったりと、私にはなんとなく思い当たるところがあった。その状態でアルコールを摂ってしまったのはどう考えても自己責任である。病院で目が覚めた時、一番最初に思ったことは「やってしまったな」だった。申し訳なさに消えてしまいたいわ、居合わせた人に会いづらくて会社に行きたくないわで散々だった。
そんな事があり、なんとなく気持ちが後ろ向きになってしまった私は、「書こう」と思いながらブログもそのままになってしまっていた。
天狼院書店への寄稿分はなんとか書き上げたものの、最後の投稿が終わると、一気に気が抜けてしまっていた。
例えて言うなら、それは実家でコタツに入っている時のように。そのまま外には出られないような、高校の時の名前入りジャージに母の変な柄のトレーナーで、ゴロゴロして首から上と手だけが出ている。そんな、ひたすらぐうたらしている気分で過ごしていた。
けれど、月曜日が近づいて来て、ふと「書かねば」という気分になった。天狼院への寄稿の締め切りは、私の場合は毎週月曜だった。なので、書いていないことに不安を覚え、久しぶりにここに書くことにしたのだった。
けれど、天狼院と違ってこちらは「絶対に読んでくれる」誰かがいる訳ではない。寄稿している間は、店主の採点というか講評があった訳なので、誰かが見るということを前提に、緊張感が満ちた状態で書いていた。
けれど、今は誰か1人でも見てくれているかどうかすらわからない。
そう思うと、ふとコタツに戻りたくなる。のんびりして、ほらミカンでも食べて。もう書くことなんていっそのことやめちまえ。そんな囁きが聞こえるのだ。
けれど、書くことを続けてみよう、せっかくそう思った気持ちを無駄にしたくなかった。
とにかく、書くこと。それが、お金を払ってライティング・ゼミを受けたことのその先へ繋がる気がするのだ。
不定期でいい、とにかく書いてみよう。
そう思い、私はコタツのスイッチを切り、スマホに向かい合ったのだった。
その掲載された記事はこちらです↓
店主セレクトもいただきました!
「書くこと」をやめられない私の、これまでとこれからと。 - 天狼院書店
ぼちぼちと書いていこうと思いますので、何卒よろしくお願いします。