日常メモランダム

日々の雑感です。

ママ友なんか、別にいらない。

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「遠くの身内より、近くのママ友」

とある巨大掲示板で目にした言葉に、私はふうん、そういうものなのか、と思った。

ママ友。一人目を産んですぐ、まだ家からほぼ出られない私からみれば都市伝説のようだった。試しに、明るくて美人な友人にママ友っているの? と聞くと、「ほとんどいない」との返事が返って来た。もっとも、その友人は大学時代の他の友人と同時期に出産しており、ほぼ休日はその2組の家族で過ごしてるとのことだったので、ママ友を作る機会がない、との事だった。

「大体、支援センターに行けばできるよ、ママ友」

そう話すのは妹の里香だった。妹が住む地域は、子どもの数が年々減少しているため、出産、育児に対して制度が手厚い。自分が住んでいる地域とのあまりの差に、結婚するときまたは住居を決めるときは自治体のホームページでそのあたりを確認するべきだった、と後悔したほどだ。

妹は週に4日ほど支援センターに行っていた。ほぼ毎日同じ人が来るらしいので、自然にみんなで連絡先を交換し、お互いの家を行き来してお茶したりするらしい。

「一回行ってみたら? 支援センター」

その言葉に背中を押されるように、私は市のホームページを見始めたのだった。

 

しかし、私の市の支援センターはイベントが多く、ほぼ予約制だった。0歳ねんね、はいはい、1歳など時間も決められており、「いつ行ってもいい」という場所ではなかった。

0歳の頃は火曜の午後だったのだが、午後1時がちょうど娘のお昼寝の時間にぶつかっていた。そのため、行っても泣く娘をひたすらおんぶして活動に参加しているばかりだった。それでも何度か会ううちにラインを交換して、「また他でも遊びましょう」という、いわゆる「ママ友」ができた。

はじめのうちは、お互いマメにラインをしていた。数回遊んだこともあった。

しかし、予防接種や娘の体調によって行けない日が続くと、断る方も断りにくく、誘った方は誘いづらくなった。

これが昔からの友達ならそうじゃなく、「じゃあまた!」で、実際ふらっと暇になった時に「明日、暇?」と聞けるのだが、まだ知り合ってから数回会った仲ではそうはいかない。お誘いの話は何日前からOKか、という感覚は個人差があるからだ。私は今日これから、でも平気なタイプだが、数予定を立てたり準備をしたりの都合上、数日前には言って欲しいというタイプももちろんいるだろう。

そのあたりの手探りが、これまた難しい。徐々に仲良くなっていくうちに「ああ、この人はこうなんだ」と見えてくる部分がある。それは、時間とともに見えるものなので急にはできない。少なくても、私にはそうだった。

そうしてそのうち、私は復職し、仕事と家事に追われた。はじめのうち、土日は平日できない家事をやることで手一杯で、友人と遊ぶ暇なんてなかった。

そうしているうちに、どちらからともなく連絡は途切れた。

そうして、私の支援センターでできたママ友との関係は終わった。

 

落ち着いた頃、支援センターでママ友は難しかったな、私はマメじゃないしな、と反省をした。連絡し続けていれば近くの友達が今でもいたかもしれないのにな。そう思ううちに日々は過ぎた。

しかし、子どもがいればママづきあいは続くのである。

娘が保育園に行くようになると、園の送り迎えで他のママさんと行き会うようになった。はじめはその程度だったが、徐々に接する機会が増えた。

基本的に対人が苦手で引っ込み思案な私は、どうにかこうにか笑顔を作ることでいっぱいいっぱいだった。身綺麗にしていて優しそうなママさん、しっかりしているママさん。みんなそれぞれ個性があるが、みんな自分よりもうんと素敵なママのように思え、気後れした。

温厚な人ほど、裏の顔があるんじゃないか。

ニコニコしながら心の中では何か思っていて、後で噂されるんじゃないか。

そんな風に被害妄想気味に思っては、心を開けないでいた。ただ笑顔の面を被り、合わせるだけのイエスマンになっている私の中には「私」が存在していなかった。

 

そんなある日、たまたま同じクラスのママとランチに行った。ランチの席で色々話すうち、そのうちに子どもたちは見ててもらって飲みに行こう、という話題で盛り上がった。

その時、そのママ……ユリちゃんは言った。

「じゃあ私と、お友達になってください」

私は面食らった。保育園でずっと会っていたし、私の中では既にユリちゃんは「ママ友」の枠の中に入っていた。

しかし、ユリちゃんはそうではなかったらしい。園で会って当たり障りない世間話をしている間柄では「友達」ではない、と思っていたようだった。

じゃあ、と私たちは敬語をやめ、苗字で呼んでいたところを「ユリちゃん」「ゆかりちゃん」と名前で呼び合うことにした。

友達って、宣言してなるものなんだろうか。そういう時は既に友達じゃないのかな? 

そう思っていた私だが、そこで驚くことが起こった。

敬語をやめたからなのか、呼び方を変えたからなのか。私たちはお互いに急速に話しやすくなり、それから数時間の間、話し続けた。今まではなんとなく距離を置いていた私も、笑顔の面を外し、「私」のままで話せるようになったのだ。

そうして、気がついた。

「ママ友」と分類して、心を区切っていた自分がいたことに。

ママ友は友達とは別で、単なる「ママとしての人付き合い」の一環であり、子どもの成長とともに関わりを持ったり関わりが薄くなったりするものだ。知らず知らずのうち、そんな風に思い込んでいた。

 

それからは、私は「ママ友」という呼び方をやめることにした。

友達であれば「友達」でいいし、別に「ママ友」というジャンルを作る必要はないのだ。そう仕分けることで、そこに壁が生まれるのだから。

自分を縛り付けているのは自分の心で、それからはふっと肩の力を抜いて話せるようになったのだった。

 

これから、私はまだまだたくさんの人と出会うだろう。

その時に心の中で分類をせず、仲良くなった人を「友達」と呼べるようになりたいと思う。

たとえ、相手との距離感が違っても、またそれはその時に考え直せばいい。

大切なのは、私の気持ちだ。

 

保育園の前に、見知った人たちが集まって話していた。

私はゆっくりと息を吸って、声をかけた。