自己PRが苦手です。
「自己PRをお願いします」
この文を見るたびに、そして言われるたびに、私の中ではキタキタキター!! と、声にならないような声が上がる。
自己PR? 何それおいしいの、ととぼけたくなる衝動をぐっとこらえ、用意してあった言葉を並べる。
その言葉の薄っぺらさといったら、一反木綿もびっくりなほどである。ペラペラすぎて風に飛ばされるなんてもんじゃなく、向こう側が透けて見えてますよ、あぁ、シースルーですか、と言った具合にペラペラである。どんだけ薄いの、と自分の中でツッコミが入るくらいに。
段々その具合に、話しているこちらが妙な気分になってくる。えっ、これホント? いやいや嘘じゃない? という葛藤の末、こちらを見る面接官の視線が徐々に痛くなってくる。目を逸らしたくなる。
大体そうして、面接が終わったあとに「ああ、ダメだった……どうして私はこうなんだろう」と自己嫌悪に陥るのだ。もしも私が面接官なら、気の利いたことの1つも言えないどころか、まず目線が泳いでいる人は採用しようとは思わないだろう。
そもそも、なぜ自分をうまくアピールできないのか、というと。
それはひとえに、自分に自信がないからである。
私の自信のなさの構築は、遡ると小学生の頃からのように思う。
昔から性格が臆病で真面目なため、親の言うこと、そして同居していた祖父母の言うことには逆らわなかった。宿題をしてから遊びに行き、テレビは8時まで、それ以降は布団にさっさと入っていた。
次第に周りの友達が芸能人やテレビの話をし始めても、私にはさっぱりわからなかった。ジャニーズが、と言われればSMAPくらいはわかるけど、SMAPが出ているテレビは寝ている時間だから見られない。ドラマも、テレビを見ていい時間じゃないから見られない。どうしようもなく、かろうじて雑誌やTVガイドを見ていた。
そんなある日、友人が学校に雑誌の切り抜きを持ってきていた。「あ、木村くんだ。かっこいいよね」と声をかけたら、友人はチラリとこちらを見て「えっ、ゆかりちゃんがSMAPの名前なんて知ってたのー?」と意地悪く笑った。そうして、「ねえねえ、聞いて〜ゆかりちゃんがSMAP知ってたよ! 驚きなんだけど」と他の友達に笑って話した。
なんだかわからないけれど、その友達の姿を見たとき、ものすごくモヤモヤした。私だって、別にテレビを全く見ないわけじゃないし、勉強ばかりしてるわけじやない。
そのとき、それまでその友人に言われていた「真面目だよね」「頭いいよね」という言葉たちが、褒められていた意味合いを持っていなかったことに気がついた。もっと早く気付いても良さそうなものなのに、そこも馬鹿正直な私は今、言葉を額面通りに受け取っていた。
ああ、私、バカにされてるんだ。
その時に鈍い私でも、そうハッキリと気がついた。
そうして改めて周りを見てみると、小学生のうちから女子はグループがあって、そのグループにも優劣があった。「一番目立つグループ」はこの子たち、次はこの子、と言ったように。カーストは確実にクラスに存在し、それによる嫌がらせや悪口の言い合いなどもあった。
少しでも目立つ事をすると、悪口を言われる。視界の端で手紙を回されたり、ヒソヒソと声が聞こえる。先生に学力のことで褒められても、母が得意な手芸で凝ったカバンを作ってくれても。
こんなことをしたら、誰かに笑われる。何か言われる。
少しでもみんなと違うと、その批判は自分の耳にしっかり聞こえてきた。
そうして、私は自信をなくした。
何をやっても、人にあれこれ言われるのなら、最初からやらない。
私なんかがやろうとするのが間違いだったんだ。
私なんかが。
その言葉が胸の中に重くのしかかり、居座って離れなかった。
そのことに向かい合わないまま大人になり、何をやろうとしても「私なんか」と思っていることに気づいたのは、仕事を始めてからだった。
私なんかできません、とすぐ言うことがおかしい、と気づかせてくれたのは当時の同僚だった。
「それ、やめたら」
ある日突然言われた時には、何を言われてるのかさっぱりわからなかった。何が、と聞き返す前に「私なんか、って言うのだよ」と彼は言った。そんなことばっかり言ってると、「私」がどんどん価値がなくなるぞ、と。
言われた時は、そう言ってることについて怒られた、と軽くショックだった。けれど、ゆっくりとコーヒーに砂糖が溶けていくように、その言葉は私の中に染み込んできた。
そうか、私なんか、って思ってきたのは他の誰でもない、私なんだ。
長い、悪い夢から覚めたような気分だった。
そこには確かに、私のしていることを咎める声などなく、あるとすればそれは、私の心の中から聞こえている声だった。
「自己PRをお願いします」
今、そう言われたら私はなんと答えるだろうか。
答えるのに時間がかかるかもしれない。けれど、自分にはこんな長所があります、ということをきちんと伝えたい。
いつの日か、胸を張ってきちんと言える、そんな自分になれるといいなと、今は思う。